【WTA/テニス】スカートがテニスウェアとして流用された歴史

 

ヴィクトリア朝時代に初めて登場した現代のテニススカートは、画期的であり、解放的でもあった。1世紀以上前に、テニスプレーヤーが社会的規範としていたフルレングスのドレスや、何重にも重ねられたガウンに比べ、スカートは機能性とパフォーマンスの面で優れていたのだ。今回は、テニスウェアとしてスカートが流用された歴史について紹介させていただきたい。BASELINEが報じている。

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初めてスカートを着た女子選手はランラン

女性がスカートやドレスを着用して、競技に参加する主要なプロスポーツは、フィギュアスケートを除いてテニスだけだ。フィギュアスケートのように技量だけでなく美しさも評価される、なんてことはありえないが、WTAのプロ選手がスカートを履くことは普通のことだ。

テニスのファッションは常に時代の流れに沿ったものであり、そのルーツは1800年代後半に遡る。当時テニスは、数少ない男女がミックスしてプレーできるスポーツとして注目されていた。そのため、コート上での見栄えや着こなしは、異性へのアプローチという面で、プレーヤーにとってはゲームと同じくらい重要なものと言えた。

そして、1900年代に入り、テニスの人気が爆発的に高まったことで、ウェアのファッション性の自由度が上がった。これは、伝統と厳格なドレスコードを重んじるテニスにとって、興味深い出来事だったと言える。ウィンブルドンの白に統一したドレスコードは有名だが、あの厳格な決まりは当時の歴史が色濃く残っている証だ。

1919年、ウィンブルドンに出場したスザンヌ・ランランは、ふくらはぎ丈のスカートとフロッピーハットという、当時の常識で言えば、スポーツをするにはスキャンダラスな衣装で登場し、マスコミから「わいせつ」と酷評された。しかし、彼女の対戦相手は、スカートは俊敏で自由な動きを実現してくれる優れたウェアだと、すぐに見抜いたことだろう。ランランがスカートでプレーしてからは、より高い裾、プリーツスカート、ノースリーブのブラウスがアマチュアのサーキットを席巻するようになった。

著名なデザイナーであるティリングがスカートを人気にさせた

1970年代から1980年代にかけて、もうひとつのファッション革命が女子テニス界を襲った。有名なエピソードで言えば、テッド・ティンリングの事件だろう。著名なデザイナーであったティンリングは、1949年のウィンブルドンで、ガッシー・モランに大胆に短いドレスの下に、レースのショートパンツというウェアを着せたことで、ウィンブルドンから追放されてしまった。しかし、ティンリングが施したデザインは、当時のトップ選手達の間で大きな人気を誇っていたのは間違いない。

ビリー・ジーン・キング、クリス・エバート、マルチナ・ナブラチロワ、エボンヌ・グーラゴンなどのウェアを手がけたティンリングは、流線型のシルエット、短いヘムライン、人目を引くネックラインを好んだ。キングの有名な白と青の「Battle of the Sexes」ドレスは、ティンリングがデザインしたもので、彼女の活躍から瞬く間にアイコンアイテムとなり、テニスドレスはツアーの見所として定着した。

ファッションの自由度が高まった現代

 
 
 
 
 
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ファッションの流行は巡り廻ると言われることが多いが、テニススカートも、いずれ時代遅れの遺物の領域になってしまうのだろうか?

しかし、テニススカートはすぐにはなくならないはずだ。理由は明確で、テニスプレイヤーがそれを愛しているからだ。動きやすさを重視したクラシックなスタイルを好む選手は多いし、女性らしいシルエットを出しやすいスカートは未だに人気がある。

スカートでもショートパンツでも、ハイテク・ボディスーツでも、全身ガウンやコルセットでも、プレーヤーは皆、コート上で最もパワフルで自信に満ちた気分になれるものを自分で選べる時代だ。ウェアのバリエーションが増えるのは、ファンとしても嬉しい。

(画像=paulabadosa)