「最も不安定なショット」で頂点に立つ — ズベレフのフォアハンド、克服の真相

2026年6月7日、ローラン・ギャロス決勝。アレクサンダー・ズベレフは、フラビオ・コボッリを6-1, 4-6, 6-4, 6-7(5), 6-1で破り、4時間16分の死闘の末に、ついにキャリア初のグランドスラムを手にした。29歳、4度目のGS決勝での悲願。1996年のベッカー(全豪)以来初のドイツ人男子GS王者であり、全仏に限れば1937年以来89年ぶりの快挙だ(出典:ATP公式)。

この優勝を語るとき、見逃せない皮肉がある。彼が頂点に立つために最後まで問われ続けたのは、ほかでもない「フォアハンド」だったということだ。ズベレフのフォアハンドは、ツアー最高クラスのバックハンドや強烈なサーブと比べて、長年「最も不安定なショット」と評されてきた。それも単なるファンの印象論ではなく、ローラン・ギャロス公式プロフィール自身がこう書いている。

「かつては彼の最も不安定なショットとされたフォアハンドは、年月をかけて成熟し、コントロールと加速を使い分けてラリーを支配できるようになった」 (出典:Roland-Garros 公式

今日はこの「弱点だったフォアハンド」を、技術的な仕組み・大舞台での崩壊・改良の物語という3つの角度から、しっかり掘り下げたい。

なぜ198cmの長身が、フォアハンドには「不利」なのか

まず技術的な土台から。ズベレフのフォアハンドの難しさは、彼の最大の武器であるはずの「198cmの長身」と表裏一体だ。

身長はサーブやリーチでは絶大な武器になる。だがフォアハンドのストロークでは、必ずしもプラスに働かない。独立系の技術アナリスト、ヒュー・クラークの分析が鋭い。彼は、ズベレフのフォアハンドの問題は「スイングの長さ」ではなく「スイングの中のノイズ(wristy mechanics=手首を使う動き)」にあると指摘する。

「長いレバー(手足)は、スイングのばらつきを増幅する」 (出典:Hugh Clarke

どういうことか。手首が曲がった(flexed)セットアップから、ストレートアーム・伸びた手首へと移行する過程で「動く部分」が多くなる。198cmの長い腕では、この「動く部分」のわずかなズレが、インパクトでは大きな誤差に拡大されてしまう。クラークはアガシ(小柄でどっしり、爆発的)と対比して、ズベレフを「長身で細身、持久力型」と評し、だからこそボールのタイミングが取りにくいと分析する。低い打点の球を叩くのが構造的に窮屈なのも、この長身ゆえだ。

グリップについても触れておきたい。クラークによれば、ズベレフはツアー参入当初の「エクストリーム・セミウェスタン」から、近年は「セミウェスタンとイースタンの境界」あたりへとグリップを動かしてきたという。ただし——ここは正直に書くが——この「グリップ変更」は本人やコーチの公式な言明ではなく、クラークの観察による見立てだ。だから「そういう分析がある」という距離感で受け取ってほしい。技術論には、こうした「断定できない領域」がつきまとう。

大舞台で「壊れた」フォアハンド — 3つの決勝

技術的に不安定なショットは、プレッシャーがかかる場面で最も露呈する。ズベレフのGS決勝での敗戦は、まさにフォアハンドの崩壊と共にあった。これはATP公式の戦略アナリスト、クレイグ・オシャネシーの「Brain Game」分析で、数字としてはっきり残っている。

2024年 全仏決勝(対アルカラス、2セットアップから逆転負け):オシャネシーの分析は容赦ない。

「フォアハンドのウィナーは39本対24本。決定的要因はそれ以上探す必要はない」 (出典:ATP公式 Brain Game

アルカラスがフォアで39本のウィナーを奪ったのに対し、ズベレフは24本。フォアの差が、そのまま勝敗を分けた。

2025年 全豪決勝(対シナー、ストレート負け):さらに深刻だった。

「フォアハンドが早々に壊れた。ズベレフはフォアハンドのウィナーがわずか3本、対してフォアハンドのエラーは35本だった」 (出典:ATP公式 Brain Game

ウィナー3本に対しエラー35本。シナーはこの弱点を執拗に突いた。試合後のズベレフの言葉が痛々しい。「自分は単に十分上手くないだけ。それだけのことだ」。

さらに遡れば、初のGS決勝だった2020年 全米決勝(対ティーム)でも、2セットアップから逆転負けを喫し、終盤はフォアハンドの自滅エラーが目立った。「最も不安定なショット」が、最も大事な場面で彼を裏切り続けた——これがズベレフのキャリアに長く影を落としてきた構図だ。

クラークは、この崩壊が技術とメンタルの悪循環だと見る。フォアハンドのメカニクスが裏切る→ネガティブになる→メカニクスがさらに悪化する。

「より攻撃的に」— 改良はいつ始まったか

転機は2024年後半に訪れた。ズベレフはフォアハンドを「より攻撃的に」改良し始める。具体的には、打球後にコート内へ踏み込み、方向を変え、リスクを取る。スイングはより短く、速く。

この改良は、数字にも表れている。2024年ローマ・マスターズ優勝時、TennisViz/Tennis Data Innovationsのデータによれば、彼のフォアハンドはこう変化した。

  • 平均球速:81mph → 83mph
  • 平均回転:3,063rpm → 3,201rpm
  • 攻撃時のショット精度:31% → 44%

Tennis Majorsはこの大会のフォアハンドを「崩れるどころか、ローマでフォアハンドは強さを保ち、武器となった」と評した(出典:Tennis Majors経由のTennisVizデータ)。ATPのショットクオリティ指数でも、フォアハンドは2023年の13位から2024年は5位へと急上昇している(出典:ATP公式)。

コーチ陣との関係も背景にある。ズベレフは一貫して父アレクサンダー・シニアに師事し、過去にはフェレーロ、レンドル、フェレールといった名コーチを起用しては短期で別れてきた。2025年にはトニ・ナダル(ラファの叔父)とマヨルカで10日間トレーニングし、正式契約を模索したが、トニは多忙ゆえ常時帯同は断ったとされる。

全仏優勝、そのときフォアハンドは

そして2026年全仏。まず公平に押さえるべき文脈がある。このドローは「開いて」いた。前年覇者アルカラスは手首の負傷で欠場、シナーは2回戦でセルンドロに、ジョコビッチは3回戦でフォンセカに敗退。ズベレフは「ドローに残った唯一のトップ10選手」だった(出典:ATP公式)。優勝の価値を損なうものではないが、追い風があったのは事実だ。

その上で、フォアハンドはどうだったか。準々決勝のホダル戦では「攻撃的なグラウンドストロークで頻繁にラリーを支配した。GS王者になる鍵だと本人がしばしば語ってきたアプローチだ」と評された(出典:ATP公式)。

決勝のスタッツ(Yahoo Sports)を見ると、ズベレフはウィナー50本(コボッリ42本)、特筆すべきは9球以上の長いラリーで51本中39本を制したこと。かつてラリーが長引くとフォアが崩れた選手が、長期戦を支配したのだ。Yahoo Sportsの評はこう。

「過去のパフォーマンスと比べて、フォアハンドが本当に際立っていた。長いラリーでコボッリに逃げ場を与えなかった」 (出典:Yahoo Sports

第4セットのタイブレークでは、皮肉にもコボッリが走りながらの強烈なフォアハンドで取り切り、過去の悪夢(2セットアップからの逆転負け)がよぎる場面もあった。だが今回のズベレフは違った。第5セットでブレークポイント4本をすべて凌ぎ、押し切って優勝を決めた。

まとめ:弱点を「消した」のではなく「飼いならした」

ズベレフのフォアハンドの物語を整理すると、こうなる。

  • 技術:198cmの長身が、スイングの「ノイズ」を増幅し、タイミングを難しくする。低い球を叩くのが構造的に窮屈
  • 崩壊:2024全仏(ウィナー24対39)、2025全豪(ウィナー3対エラー35)と、GS決勝でフォアが壊れ続けた
  • 改良:2024年後半から「より攻撃的に」。ローマでは球速81→83mph、回転3063→3201rpm。ショットクオリティ指数13位→5位
  • 頂点:2026全仏で、長いラリーを支配。ただし「フォアが鍵」は専門家・第三者の評価であり、本人の直接言明ではない

興味深いのは、ズベレフがフォアハンドを「完璧な武器」に作り変えたわけではない、という点だ。彼がやったのは、**長身ゆえに不安定になりがちなフォアハンドを、攻撃的なアプローチで「飼いならした」**ことに近い。弱点を消したのではなく、弱点と付き合いながら、それでも勝てる形を見つけた。

優勝後、ズベレフはこう語っている。

「このトロフィーは僕にとって非常に重要だ。もし負けていたら、自信が大きく下がっていただろう。でも勝った今、また勝てると感じるんだ」 (出典:Roland-Garros 公式

「最も不安定なショット」を抱えたまま、それでも頂点に立った。完璧ではない武器で勝ち切ったことにこそ、この優勝の本当の価値があるのかもしれない。