ワウリンカのキャリアがフェデラーの栄光のせいで地味になってしまった説を検証。

 

近年のスイスは、男女問わずに著名なテニス選手を何人も輩出している。その中でも特筆されて人気の高い選手は、ロジャー・フェデラーとスタン・ワウリンカだろう。この2人はダブルスのペアを組み、2008年の北京オリンピックで金メダルを獲得した名コンビでもある訳だが、一部のメディアからはフェデラーの記録が偉大すぎて、ワウリンカのキャリアが霞んでしまっていると報道されることもある。果たしてワウリンカは、スイス以外の国に生まれていたらもっと派手なキャリアを歩んでいたのだろうか?今回は、そのことについて言及していきたい。

【関連記事】ズベレフが史上最高のテニス選手について持論を述べる。「ジョコビッチの記録には逆らえない」

キンドルマンによる仮説

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Dieter Kindlmann(@kindlmann82)がシェアした投稿

海外テニスサイトsportskeedaで先日、元世界女王のアンドリク・ケルバーのコーチを務めていた過去のあるディーター・キンドルマンが、ワウリンカのキャリアについて以下のようにコメントしていた。

 

「スイスは信じられないぐらいテニス選手に恵まれている。ロジャー・フェデラー、マルチナ・ヒンギス、ベリンダ・ベンチッチ、スタン・ワウリンカと名プレイヤーの宝庫だ。しかし、これらの選手全員を比較することはできないけど、もしワウリンカがフェデラーの存在が及ばない国で生まれていたとしたら、今よりも絶対的なスーパースターになっていただろう」

 

このコメントには一理あると思われる。何故なら、フェデラーの世界的知名度はとても高く、ワウリンカも素晴らしい選手だとは言え、ファンの数では圧倒的にフェデラーには敵わない。加えて二人とも同じスイス出身であるが故に、嫌でもそれぞれが比較対象にされてしまうからだ。

 

そしてワウリンカ自身は、比較対象とされることをあまり嬉しく思っていない。例えば彼は、2015年にローラン・ギャロスを制覇し、グランドスラムを複数制覇した数少ないエリート集団の仲間入りを果たした。そして当時のメディアからはBIG4と讃えられていたフェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーになぞらえて「ワウリンカはBIG4の仲間入りを果たした!もはや今はBIG5だ!」とはやし立てられていたのだが「自分は彼らほどのレベルではない。でも2つのグランドスラムを制覇するレベルではある。メジャー大会で彼らと対戦したら勝つこともできるけどBIG4はBIG4だ。彼らとの比較対象にはなりたくない」と一蹴した過去がある。ワウリンカも一人のプロテニス選手として、他人の記録と比べられることは不快なのだろう。

 

しかし、偉大な記録を持つBIG4と比較されることが栄誉なことであることも間違いはない。ツアーに参加している選手のほとんどは、一般のテニスユーザーから名前も覚えてもらえずにキャリアを終えるのが普通だ。そのことを考えれば、ワウリンカも幸せなキャリアを送っているとも捉えられる。

ワウリンカと似た境遇の選手

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

David Ferrer(@davidferrer1982)がシェアした投稿

話を元に戻し、ワウリンカとフェデラーの境遇に似ていて既に引退している選手を探してみよう。例えば、ナダルとフェレールなんてケースはどうだろうか?

 

今更説明せずとも、ナダルは歴史に残る素晴らしい選手だ。史上最年少でキャリアグランドスラムを達成し、さらにローラン・ギャロスを5連覇した記録は今後誰も破ることは叶わないだろう。しかし、2010年代前半のスペインには、もう一人の世界ランクトップ10プレイヤーがいた。そう、ダビド・フェレールだ。彼はグランドスラムこそ制覇できなかったが、自己最高ランクは3位、2007年にはATPファイナルズで準優勝、2013年にはローラン・ギャロスを準優勝しており、ワウリンカには劣るとしても立派な記録を残している。

 

ではフェレールは、ナダルの影響力のせいでキャリアが霞んでしまった選手なのだろうか?答えはYesだ。彼はThe Little Beastというあだ名を持っているが、大舞台で勝ちきれなかったことからテニス界の脇役と揶揄されることも多く、これはBIG4の一角を崩した実績を持つフェレールにとってかなり不本意な位置付けと言える。何にせよ、2013年のローラン・ギャロスでフェレールの優勝を阻んだのはナダル本人で、もしナダルがいなかったら、とたらればを語りたくなる選手がこのフェレールなのだ。

 

ちなみに先日、フォーブス誌のブルガリア版で「最も有名なブルガリア人トップ70」が発表されたのだが、2位にはグリゴール・ディミトロフがランクインした。もし、フェレールがブルガリアで生まれていたらどうなっていただろう?ディミトロフも素晴らしい選手だが、キャリアの密度としてはフェレールの足元にも及ばない。フェレールはブルガリアの英雄として今よりも大きな名声を得ていただろう。

 

他の例を挙げるとすれば、日本の錦織圭もいい事例になるかもしれない。もし彼がスペインで生まれて、ナダルのNo2として長年活躍したとしたら?今の日本で得ているような名声は得られただろうか?もちろん、錦織は私たち日本の英雄であり、アジア人のテニスプレイヤーが世界で活躍できることを示したパイオニアだ。しかし、ツアーの長い歴史を見て考えてみると、錦織と同じレベルの成績を残している選手はそれなりにいる。そして、もしそのすぐ隣にテニス界に革命を起こしたBIG4がいるとなれば、どんな名選手でもキャリアが霞んでしまうのは無理もない。

 

結論からして、ワウリンカのキャリアは輝かしいものだが、フェデラーの栄光によって霞んでしまっているのは事実だと言えるだろう。ただし、それを不運だと感じるかどうかは本人次第だ。ある時ワウリンカは「僕がグランドスラムで優勝できたのにも、“ビッグ3”が教えてくれたことが大きい。僕は多分、誰よりも多く“ビッグ3”とトレーニングしている。彼らの試合をたくさん見たよ。キャリアの初めの頃は、難敵と戦う前にはロジャーが信頼できるアドバイスをくれた。テニスにおける兄のような存在だった」とメディアへ語った。もしかしたらワウリンカは、隣にフェデラーというレジェンドがいたからこそ、ここまで強くなれたのかもしれない。

まとめ:選手の評価=個人の感性

 

フェデラーの引退説が囁かれ始めてから、テニス界でも「GOATは誰なのか?」という論争がしばしば引き起こされているが、これを客観的に決めることはまず不可能だろう。

 

理由は明確で、私たち人間には先入観というものがあり、第三者の目線で選手を評価しようとしても、愛着や当時抱えていた感情が邪魔してくるからだ。例えば、世界3位に位置付けるズベレフは、GOAT論争について以下のようにコメントしたことがある。

 

「フェデラーやナダルの方がファンは多いことは知っているけど、それだけではジョコビッチが残している記録に逆らう要素には出来ないよね。ジョコビッチはフェデラーやナダルと同じ数だけグランドスラムを制覇し、最も長い間世界ランキング1位に在位しているし、マスターズの最多優勝記録も持っている。それでも、この統計に逆らってまでフェデラーやナダルの方が史上最高のプレイヤーだと話す人が多いのは、幼い頃からずっと彼らのプレーを見てきているからじゃないからかな。時には現実を受け入れなければいけない。ジョコビッチの記録は間違いの無い事実だよ」

 

おそらく現時点では、テニス界史上最高の選手として名が挙がるのはフェデラーだ。しかし、成し遂げた記録の偉大さだけで比較すれば、既にジョコビッチの方が優れている。もちろん、テニス選手の優劣が試合の勝敗だけで決まるとは言わない。そうなってしまえば、フェデラーがテニスを世界的にメジャーなスポーツへ引き上げてくれた功績も無視することになってしまうからだ。彼がいなければ、今のテニス人気は存在しなかったはずである。

 

この記事を読んで感じて欲しいのは、テニス選手のキャリアを正確に評価するためにはあらゆる角度を丁寧に探る必要があるということだ。これが出来なければ、GOATはいつまで経っても決めることはできない。だからこの手の議論は盛り上がるし、難しいのだ。

(画像=stanwawrinka85)